9.日暮里 会うだけで胸が熱い
僕と俳優座養成所三期生として一緒に勉強した入江洋佑君は同じ歳だ。当時僕たちは、あだ名を付けていた。僕は「ハンチョウ」で入江君は二つあって「ボーヤ」と、名前のまんまで「ヨースケ」と呼ばれていた。入江君がなぜ「ボーヤ」と呼ばれていたかというと、彼がいかにも少年らしいかわいい顔をして、しかも育ちの良さが漂っていたので、みんなが「ボーヤ」と呼んだのだ。僕は同じ歳の入江君を「ボーヤ」と呼ぶのは抵抗があって「ヨースケ」と呼んでいた。僕の「ハンチョウ」は、そのころから何かとクラスの催しもとか祭り事などをすぐ仕切る癖があったので、ごく自然にそう呼ばれたのだと思う。思えばこの癖はまだ治っていない。
入江君はそのころ日暮里に住んでいた。日暮里という地名にふさわしく、彼には日暮れの中で着物姿が似合う素敵なお母さんがいた。お母さんはモダンな女性で新橋の「フロリダ」などでダンスホールの華になって踊っていたと聞いたことがある。
さてこの日暮里に、当時巣鴨に住んでいた僕は足しげく遊びに行きました。一つは友達の入江君の家にお邪魔することと、もう一つは駅の近くにある「朝日食堂」の中華そばとアイスクリームに魅せられていったのです。しまいには僕が巣鴨から日暮里までの山手線の定期券を買いました。
俳優座養成所を卒業した入江君と僕達は俳優座スタジオ劇団「三期会」(現在の東京演劇アンサンブル)を創り、旅公演を始めたのでした。そのメンバーの中にスペイン舞踊で頑張っている小松原庸子さんもいます。一緒に新劇運動をした同級生も芝居をやめたり、亡くなったり、今は随分減りました。このごろヨースケに会うとそれだけで胸が熱くなってくる。歳のせいで涙もろくなったものだ。入江洋佑君は東京演劇アンサンブルで今でも新劇運動の現役です。